3分でわかるコンタクトレンズ
人は両眼でものを見ており、左右眼の網膜に入った外界からの映像信号は脳に至って統合されます。
両眼視機能があるから、距離や深さが測定できるのです。ところが、眼球を動かす筋肉(外眼筋)などに不都合が生じたり、外眼筋を支配する神経に不具合が起きたり、さらにその神経に命令を送る脳の病気が起こると、眼球がうまく動かず、眼の位置ずれが生じてものがふたつに見える(複視)という事態になります。
これだと、とても両眼を開けて生活することができなくなります。似たようなことは、片眼に視機能を損なうような疾患が生じた時にも出現することがあります。
よく見える方の眼と、病気になった眼からの信号は共に脳に送られますが、病気の方の眼の信号の質が悪すぎて両者を統合できず、「混乱視」に陥ります。無理に見続けようとしても脳が「まぶしい」「眼が痛い」などと強い拒否反応を起こし、ノイズのある方の眼をつぶって混乱を避けるか、両眼をつぶって見るのをやめてしまいます。
一方、今まで両眼で生活していた人が急に片眼での生活になると、ひとつの眼で両眼分を補うのだから2倍疲れるだろうというのは明らかな間違いで、実際には何倍も負荷がかかり、とても通常の生活はできたものではありません。このように、持続力の問題も、両眼視の問題も生活の視点からは極めて重視すべき大問題なのに、視覚障害者認定基準にも、労災の障害等級にもそれに関する配慮はありません。
そして、多くの眼科医でさえ、一般の方々と同様、見え方は視力検査で代表されると無自覚に思い込んでいるのが現状だと思われます。小学校の理科の授業では、眼球のしくみは、カメラにたとえられていました。
最近のカメラはほとんどデジタルカメラで、ケータイにもついていたりもしますが、フィルムで撮る古いタイプのものを思い出してみてください。「先生、コンタクトレンズが眼の裏側に!」さて、眼にゴミが入ったり、眼の中でコンタクトレンズが行方不明になった時に、「先生、眼の裏側に行ってしまったのではないでしょうね」と心配する人がいます。
この問いに答えるには、まずは、眼のしくみについて説明することが必要でしょう。ちょっと解説しておきましょう。
眼球の一番外側の膜は、透明な角膜と白い不透明な強膜でできています。人の眼を外側から見ると、透明な角膜部分は、厚さ0.5mほどで、「黒目」と呼ばれる部分です。
これに対し、不透明な白い部分、つまり「白目」ですが、外側から見える白い部分は結膜という半透明の膜で覆われています。その結膜は上下で折りかえって、強の裏(皮膚でない側)も覆います。
そして、袋状になった天井(円蓋部)と床は厚くなっていて、穴は大きくなったり(散瞳)、小さくなったり(縮瞳)します。日本人では虹彩は茶色ですが、白人ではヘーゼル(淡褐色)、アンバー(琉狛色)、グレー(灰)色、ブルー(青)、グリーン(緑)など種々の色があり、髪の色と同様チャームポイントのひとつになっています。
その虹彩は多くが筋肉組織であり、その筋肉が収縮したり弛緩して、散瞳、縮瞳の状態を作るのです。管のない角膜への栄養素を供給しています。
房水はいつも透明で新鮮でなくてはなりません。その量はわずかに0.125Mほどですが、毛様体で作られ、隅角(虹彩と角膜とがなす角)にあるシュレム管からと、毛様体の間隙からのふたつのルートで排出され、最終的には静脈管へと流出してゆきます。
0.125Mは、こうして大体100分で全部入れ換わります。ところが、何らかの理由で入れ換われない事態になると、眼圧が上昇し、濁りが発生し、「ものを見る機能」に重大な支障が生じてしまうのです。
て、外界からの光は、角膜と水晶体が凸レンズの役割を果たすので、ここで屈折する瞳孔から入射した光は水晶体で屈折しますが、水晶体は調節機能、ピントを合わせる機能を持っています。つまり、近くにピントを合わせようとすると、虹彩に連続している毛様体の筋肉が収縮し、その力が水晶体に伝わりこれを膨らませて屈折を強くします(凸レンズの度を強くする)。
これが、調節です。調節を何もしないゼロの状態、つまり毛様体が最も緩んだ状態が、その人の持つ屈折(つまり、近視か遠視か、それに乱視が加わるか、それとも近視、遠視、乱視のどれもない正視か)ということになります。
この屈折は人によって皆違います。正視の人は、調節をしない状態で、仮想上の無限遠からの映像を裸眼で網膜にピッタリ結像しますが、近視、遠視、乱視の人は、眼鏡やコンタクトレンズで適正な矯正をほどこしてはじめて正視の人と同じ条件になります。
眼は、矯正した状態で、なにも意識せずに、見たいものに自動的にピントを合わせるすごい能力を持っています。ただし、ある年齢になると、段々、この自動調節力が弱まります。
これが正に老眼(老視)というものなのです。眼と脳の華麗なる連係プレーさて、網膜に外界からの像をうまく結んだとします。
しかし、まだものが見えるわけではありません。フィルムに像が写っただけです。
これを現像して活動写真にするには、網膜で得た信号を脳に送る必要があります。信号は視神経を通って、頭蓋内に入り、視交叉という左右の視神経が合体するところで、右半分の視野から入った像は左半の、左半分の像は右半の後頭葉視覚野に送られます。
これで、現像する準備ができましたが、まだ「見えた」ことにはなりません。ここらへんが、知っているようで知らないしくみです。
見える内容には、形、色、動いている物体などいろいろな要素があります。後頭葉視覚中枢にはとりあえず、眼球に入った情報が伝わって来ますが、その伝わり方は、いわば要素ごとに伝わってきますから、さらに高次機能中枢の、例えば色の識別が得意な場所(脳の領野)、動きや動きの方向の認識が得意な領野などへ配電され、それぞれ比較、統合という過程を経て、はじめて意味のあるものとして認識できるのです。
ものの見える仕組みに大脳のどこがどのように関っているかという「視覚の大脳生理学」が非常に進歩した時期です。ここは創造主たる神の領域であり、当時もそんなところに人間が果たして手をつけていいのだろうか、と迷い苦しんだ学者もいたと伝えられるほど禁断の領域でした。
なぜ禁断だったのでしょう。人間を解剖してみると、心臓は血液を送る、腎臓は尿を作る、胃や腸はものを消化するというように、どの器官も意味づけができます。
しかし、一番謎なのは脳です。なにをしているところか、皆わかりませんでした(もちろん、いまだに脳はわからないことだらけです)。
この得体の知れない、人の手に負えない脳は、人知の及ばない神の領域として、我々人間はずっと畏怖し、遠ざけてきたのです。それを科学で解明しようなどとは、畏れ多いという感覚が「禁断の領域に手をつけるな」となったのだとところで、見るためには、ただ眼球の情報が脳に伝えられればいいわけではありません。
なにを見るか、視野のどこに見えるか、どの距離に見えるかによって、精綴な眼球運動が必要になります。カメラや動画でなにかを撮影しようとする時、被写体を探し、フアインダーを覗いてレンズ琴向けますよね。
眼について言えば、6つの筋肉(外眼筋)を駆使して眼球を動かすことでこれを行います。つまり、眼で捉えたものを一旦脳へ送って、脳は自分の関心や目的を考えて、どこをどのように捉えるか決めて外眼筋に命令を送り、眼球が目的に沿って動きます。
それではじめてなにを見るかの目的を果たすことになります。
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